2020年10月13日
ゼントラストの浅田です。さて、前回は、賃貸仲介の記事を書きましたが、これは投資する(お金をかける)ものではないため、デベロッパーというより、仲介会社の仕事になります。仲介は不動産のいろいろなことを調査するので、不動産屋としての基礎力を上げるのにちょうどいい、そんな風に人事部としては考え、仲介グループに配属されたようです。そんな私が、2年目の秋を迎え、いよいよ投資案件のプロジェクトに加わることになります。もっとも、都心のマンションやオフィスビルといった、キラキラしている案件とはまた違うものでしたが・・。
場所は仙台市から東に15キロほどに位置する、港湾地域です。倉庫や工場が立ち並び、一般人はまず立ち入ることのないエリアで、東京でいえば、晴海や羽田の工場地帯みたいなものでしょうか。そこに、関連会社の土地がありました。その土地を会社として買取り、転売するというスキームです。ただ、10,000坪(約33,000平米)を超える広大な土地(調べてみると、東京ドームほぼ1つ分でした)なので、1社だけに売却するのは現実的ではありません。そこで、我々は、敷地内に道路を通すことで、分割しての売却を可能にするスキームを考えました。土地は、道路に接していなければ、建物を建てることができず(接道要件といいます)、価値がなくなります。だから土地売買において道路付けというのは非常に大事な概念で、基本的には広い道路に面していればいるほど、土地の価値は高まります。そこで、この土地では、もともとあった土地の南側の接道に加え、土地の西側にも道路を通すことで、敷地をバラ売りすることを可能にしたのです。おおまかにいえば、敷地の10%を道路としてお金をかけて整備することで、残りの90%の土地を分割して売却することが可能になりました。お金の流れで言えば、40億で土地を仕入れ、3億で道路を通し、トータル50億円で売って、7億円の利益を得る、そんなイメージです。その収支(事業収支採算書、PLといいます)を組むことがなかなか難しいのですが、またそれは次回にしましょう。ちなみに、道路は市に寄付することで、維持管理の費用は無くなりました。
東北にはトヨタの大きな工場があったりして、その関連会社への売却を考えていたのですが、折しも時はリーマンショックや超円高の時代で、景気は最悪でした。さらに、世界地図をよくみればわかるのですが、東北地方は船便における北米向け輸出の拠点になるエリアです。相対的にアジア(九州地方)やロシア(北陸地方)よりも大きな影響を受けてしまい、売却には苦戦しました。そうこうしているうちに東日本大震災が起こり、私はプロジェクトを離れることになるのですが、はじめてどっぷり浸かった投資案件として、思い出深いものになりました。いま思い返してみると、スケールの大きい話ですね。こんな案件を入社2〜3年の若手が任せてもらえるので、デベロッパーは就職先としても面白い業界だと思います。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。
2020年10月2日
ゼントラストの樋口雄一です。
2015年10月2日にゼントラストを設立し、
本日、創立5周年を迎えることができました。
東京オリンピックの期待を胸に始まった本年は、
新型コロナウイルスの感染拡大によって180度違う現実となり、
今日までジェットコースターのような日々を送ることになりました。
まだまだ大変な社会情勢ではありますが、
お客様・取引先・社員・家族・友人や仲間たちのおかげで
本日を迎えることができました。
ありがとうございます。
「人生、苦しいときが上り坂」
昨日、銀座の先輩経営者からいただいた言葉です。
未だ至らない点は多々ありますが、まだまだ気力は十分、
これからも全力で進んでまいる所存です。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
株式会社ゼントラスト 代表取締役社長 樋口雄一
2020年9月30日
皆さん こんにちは、ゼントラストの浅田です。さて、前回に引き続きの話題です。新卒で不動産デベロッパーに入社し、しばらく経つとメイン担当で仕事を任されることになります。私がいた会社はメーカー系のデベロッパーだったので、関連会社が300社以上あり、それら関連会社の不動産のお困りごとを解決するような部署に配属されました。そんな2年目を迎えたある日、江東区辰巳という、豊洲に近い場所にある古びた倉庫を貸している会社さんから、お声をかけられました。数ヶ月後に借主さんが出ていってしまうので、誰か借りてくれる人はいないか、賃貸仲介の仕事を頼まれたのです。さっそく物件を見にいったところ、駅からの距離は10分ほどであったものの、日光がほとんど入らないために暗く、かつ運河に面しているため、なんとなくジメジメした感じを受けました。例えるならば、廃校になった学校の体育館のような感じです。どうしたものかと思いましたが、募集を開始してしばらく経ったある日、借りたいという会社さんを紹介してくれる仲介会社から問い合わせを受けました。
それは「倉庫ではなく、オフィスとして借りられませんか?」というオファーでした。賃貸不動産と一言でいっても、住宅やオフィス、飲食店など、使い道は多岐に渡ります。ただ、住宅をオフィスとして貸したり、飲食店を住宅として使用することは基本的にはありません。しかし、せっかく興味を持ってくれたお客様候補。いきなりお断りをするのではなく、詳しい状況をお聞きしました。それによると、なんでも借主さんは建築設計事務所で、現在のオフィスから立ち退きを迫られているため、新しいオフィスを探しているとのことでした。でも、なぜこの物件に入居したいの・・倉庫ですよ?とお聞きしたところ、建築設計事務所は大きな模型を搬入することが多いので、天井の高さや入口の広さが通常のオフィスより大きめであることが必須であるとのこと。この倉庫はトラックが入る仕様で、がらんどうの造りになっているため、イメージにぴったりとのことでした。
さて、オーナーさんに確認したところ、少し驚いていたものの、キレイに使ってくれるならばオフィスとして使ってもいい、という返事をいただきました。そこから私の奮闘がはじまります。不動産仲介では、基本的に売主や貸主側の仲介会社(宅建業者といいます)が、借主さんに物件のことを説明する「重要事項説明書」という書類を作成する必要があります。いわゆる取り扱い説明書のようなものです。当時は知識がなかったのですが、調査をはじめるうちに、いろいろな課題が出てきました。まず、法的な問題です。倉庫として使用することを前提に役所に届け出ていますので、オフィスとして使用(用途変更といいます)するために、各所に掛け合わなければなりません。大変なのは、役所は縦割りの組織であるため、いろいろな役所や部署に問い合わせをしなければならないのです。例えば、倉庫とオフィスでは人の出入りの頻度が大きく異なるため、消防法上、スプリンクラーの設置義務がオフィスのほうが厳しいのです(当時)。つまり、重要事項説明書には、「貸主は、借主がオフィスとして使用することを許可するが、借主は、事前に消防署と相談の上、消防法上適法となるように使用しなければなりません」と記載することになります。
法的な問題をクリアするのと並行して、借主さんの希望をオーナーに伝え、調整し、重要事項説明書や契約書にどう記載するかを検討する必要があります。今回のケースでは、倉庫仕様ということから、もともとの電気容量が小さいため、オフィスとして使うにはどうしても暗すぎるという課題がありました。そこで借主さんは、運河沿いという地形を活かし、運河に面している壁をブチ抜き、ガラス張りにしたいという意向を持っていました。さらに、コンクリート剥き出しの壁を、すべて真っ白に塗りたいということでした。つまり、四方向のうち、道路側の一方向しか採光が取れなかったところ、運河沿いの方向をガラス張りにし、さらに他の二方向も白く塗ることで、明るいオフィスにしたいということでした。その大胆な発想にオーナーは驚き(私もびっくりし)ましたが、さすが設計士ということで、工事の内容を細かく事前告知し、オーナーの承諾を得ることを条件にする、という内容で合意し、契約書に盛り込むことができました。もっとも、天井が高いため、オフィスとして使うにはクーラーの電気代が高額になってしまうということでしたが・・。
その設計士さんは世界的に活躍されている方であるため、契約直前はイタリアと国際電話をつないで打ち合わせするなど、オンライン契約の先駆けのようなことをしたのを覚えています。もっとも、こんなにWi-Fiが発達している時代ではないため、なかなかやりとりがスムーズにいかず、やきもきさせられることもありましたが・・。
ネットで検索すると、いまでも設計士さんはお借りになっているようです。ただの古びた倉庫が、イマドキのおしゃれオフィスに変貌を遂げる。賃貸仲介ではあるものの、これも一種のまちづくりだな、と少し感動したのを覚えています。
さて、今回はここまで。次回は、「建物を建ててはいけない地域」に建つ工場の売買仲介の話をしたいと思います。読んでくださり、ありがとうございました。
2020年9月16日
皆さん初めまして。7月にゼントラストに入社しました、浅田といいます。これからブログを更新していきますので、よろしくお願いします。
さて、ここでは、私が社会人になってからのことを、少し書いてみようと思います。
2007年4月、私は新卒で不動産デベロッパーに就職しました。デベロッパーとは、地権者(オーナー、地主)を口説き、建設会社(ゼネコン)に建物を建ててもらい、その建物の収益によって利益を得る、そんな仕事です。かっこよくいえば「街づくり」のお仕事であり、東京でいえば森ビル(六本木ヒルズ)が有名ですね。
マーケティング、営業、CFやPLの作成や管理、契約書や重要事項説明書の作成といった、守備範囲の広い仕事でもあります。ちなみにディズニーランド(オリエンタルランド)は三井不動産と京成電鉄が作ったんですよ。
もちろん、私もそんな街づくりに憧れて入社しました。
ちなみに三井不動産の選考は、最終面接で落ちたのですが、最終面接の会場は日本橋三井タワーの奥にある謎のフロアに通され、半沢直樹に出てきそうな天井の高い重厚な応接室で、やたらと遠くにいる怖そうなオジサマたちに、大声で必死にアピールしたのを覚えています。
さて、新人研修が終わり、5月になりました。そこで手渡された人事通知には、意外な文字が。
「浅田殿。貴殿を仲介グループに配属とする」
・・仲介ってなんだ??街づくりじゃないの??と正直思いましたが、何事も楽しんでやるのが私のモットー。疑問に思う間もなく、仲介の荒波へと乗り込んでいきます。
私は30代後半のマネージャーと、40代のグループリーダーを上司に持ち、仕事を進めていきました。そこでは、今でも覚えている教えがいくつかあります。
・現場には何回でも出向け。晴れ、雨、平日、休日、朝、昼、夜、できればすべてのパターンで足を運び、どんな人が行き交っているのか、どんな用途に使えば収益性が上がるか、自分がオーナーになったつもりで考えろ。駅からの道でも、行きと帰りで違うルートを歩け。
・電車の中ではなるべく地図を見て、地理関係を頭に叩き込め。
・仕事はキャッチボール。自分のところにボール(仕事)を溜めるな。ボールを人に渡してから帰れ。
・数字は上3桁だけ考えればいい。1億(10,000万)のプロジェクトを議論しているときに、10万単位の議論をするのはあまり意味がない。逆に、100万円の仲介手数料の案件ならば、1万円代までは数字を吟味しろ。
・客先には何かと用事をつくって顔を出せ。雨の日ほど訪問して、自分をアピールしろ。
・・いかがでしょうか。グーグルマップも、スマホもない時代です。時代遅れと思われることもあるでしょうが、普遍的なこともあるかと思います。大事なのは、最初の1~3年くらいで叩き込まれた仕事のやり方は、おそらく一生を左右するものになる、という実感です。人間、歳を重ねてからだと、なかなか素直に教えを吸収できないのかもしれません。
さて、配属されて数ヶ月たち、最初に私がメイン担当となる物件がやってきました。それは、都内の運河沿いにある倉庫の賃貸仲介プロジェクトです。その話はまた次回にします。読んでいただき、ありがとうございました。
2020年8月24日
ゼントラストの阿部です。
新聞やネットニュースでも多数紹介されておりますが
木挽町よしやさんから始まった「銀座もの繋ぎプロジェクト」に
当社グループ会社の銀座国際ホテルが参加しています。
銀座の店舗や企業が商品を物々交換し、SNSで紹介しあい
新型コロナウィルスの感染拡大で影響を受けた銀座に
活気を取り戻していこうという活動です。
物々交換が100社目となった記念に
UNIQLO TOKYOさんでチャリティーTシャツやトートバックを販売しています。
参加した企業のロゴやイラストを組み合わせて
自分でデザインして作ることができますよ。
銀座国際ホテルのロゴで作成したTシャツです。
こちらは、参加した企業さんのロゴが入ったTシャツです。
また、ゼントラストから提供した
1970年頃の銀座の写真が1階と2階の試着室に展示されています。
当社事務所がある銀座全線座ビルの昔の姿がとても可愛らしいですね。
機会がありましたらぜひUNIQLO TOKYOさんへ見に行ってみてください。
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