2021年1月7日
ゼントラストの浅田です。毎日、寒い日が続きますね!
前回、JICA青年海外協力隊員として、ベトナムのハノイで生活を始めたときのことを書きました。今回はその続きです。
2014年11月、語学学校を卒業した私は、任地に配属となりました。私はハノイ中心部から車で1時間半ほどの農村に配属となり、地域おこしの仕事をすることとなりました。距離的には遠くはないのですが、コンビニなどはもちろんなく、停電が頻繁に起こるような田舎でした。地域おこしといっても、村のためになることだったらなんでもしていい、というざっくりとした業務内容でした。そこで苦心しながら生活したことの話は、また別の機会に。
さて、村でのホームステイ生活が始まりました。もちろんホストファミリーはベトナム人で、ベトナム語オンリーの生活です。通訳もいないので、業務を始めるにも、市場で買い物をするのにも、ベトナム語の習得が欠かせません。これまでは日本語や英語が話せるベトナム人の先生に習っていたのですが、ここからは、ベトナム語オンリーの人しかいないので、そうした人にも先生役になってもらいました。やり方としては、日記を書き、添削してもらうのです。そうすることで、文法や単語の間違いや、教科書言葉と日常会話との違いを指摘してもらいました。また、その日記を発声して修正してもらうことで、発音の訓練にもなります。それでもなかなか成果が出ず、慣れない言語にどっぷり浸かることでノドや耳も疲れ、ベトナム語が嫌いになりかけることもありました。
変化が訪れたのは、村での生活を始めて3-4ヶ月ほど経った、2015年の旧正月(2月)のころです。少しずつ業務を始めたこともあり、村人のひとりと電話で話をしたのですが、けっこう内容が理解でき、また、自分の意図も伝わったことが電話をしながらわかるのです。それまでは、電話では基本的にコミュニケーションが取れないため、対面でメモを取りながらでしか意思疎通ができなかったので、感動的な瞬間でした。
ベトナム語の学習は、年配者より若者、男性より女性の方が上達が早い傾向にあります。もちろん、センスもあるのでしょうが、私はむしろ、男性より女性が、年配者より若者が、素直に物事を吸収でき、他人の指摘に耳を傾けられるということに理由があると思います。特に年配者で、会社での立場がある人は、まるで赤ちゃんのように先生の声マネをする、年少者に発音を笑われるといったことが、プライドが邪魔して、我慢できないのかもしれない、いろいろな人のベトナム語に対する向き合い方を通して、そんな風に思います。
これから私もどのような勉強をするときにも、素直な気持ちを持って、勉強に臨みたいと思います。
2021年1月5日
こんにちは。ゼントラストの浅田です。さて、前回は、ベトナム語の勉強をスタートしたときのことを書きました。今回はその続きです。
2014年9月、無事に現地・ハノイの空港に降り立ったのですが、最初はまったく言葉が通じませんでした。タクシーに乗って「○✖️ホテル」と言っても、そもそもホテルという単語(khach san、カイッサンといいます)が通じません。ベトナム語の発音の難しさはもちろん認識していたのですが、ここまでとは・・。なんとか通じたあとは、道中、何度も「カイッサン!」と繰り返し、運転手さんに発音を直してもらいました。まるで日本で生活をはじめた外国人がタクシー車内で「リョカン!」「ミンシュク!」と騒いでいるようなもので、運転手さんはずっと笑っていました。それもそのはず、これまでは、教室の中で、日本人の発音に慣れている先生相手に話していたので、なんとなく通じていましたが、普通の人々にはなかなか通じないのです。大きな壁にぶちあたりました。
ハノイでの生活ですが、最初の1〜2ヶ月は、現地の語学学校に通う日々を送っていました。ホテルの近くに、できたばかりのスターバックスがあったので、宿題をしがてらたまに寄っていたのですが、ベトナム語で注文しているうちに店員さんと仲良くなり、休憩時間には隣に座って教えてくれるようになりました。スターバックスには外国人も多いので、英語が話せる店員さんが多いこともあるのですが、外国人が拙いベトナム語で注文しているのが、興味深かったのでしょう。仲良くなると、なぜかラテを2杯くれるようになったり、閉店後も内緒で席を使わせてくれたりしたのですが、またそれは別の機会に・・。
そんなこんなで、少しずつ友人が増え、ベトナム語での会話が楽しくなってきます。勉強となると肩肘張ってしまいますが、友達とおしゃべり、と頭を切り替えると、だいぶ気が楽になります。今日は疲れたな、勉強はやめておこうかな、と思うときでも、おしゃべりだけ少ししてみよう、と心がけて日々生活していると、少しずつですが、だいぶ上達するものです。ここでのコツは、発音や文法に間違いがあれば、すぐに指摘してもらい、メモすることです。なかなか1回、2回では覚えられませんが、30回、50回と繰り返すうちに、自然と覚えられるようになります。10代のような単純な暗記力は失われているので、繰り返し、何度も定着するまで間違えることです。何度も直されて恥ずかしいとか、発音を笑われて傷つくとか、そういった妙なプライドは邪魔だということを学びました。
長くなってきたので、続きはまた今度にします。読んでいただき、ありがとうございました。
2021年1月4日
明けましておめでとうございます。ゼントラストの浅田です。本年もよろしくお願いします。
さて今回は、語学の習得方法と題し、私の勉強方法を紹介したいと思います。私は2014年から2年ほど、ベトナムに駐在していた関係で、ベトナム語を習得したのですが、これが大変でした。勉強をはじめた当初は30歳を超えていたこともあり、また語学に自信があるわけでもなかったので、何度も嫌になりかけました。それでも何とか、帰国するころには、日常会話や簡単なプレゼンテーションくらいはベトナム語でこなすことができるようになりました。
私はJICA(国際協力機構)のプログラムで派遣されていたのですが、当時は語学習得を目的に、70日間の集中合宿がありました。研修先は福島の二本松というところにあり、最寄りの駅からはバスで1時間近くかかるところでした。私が合宿をしていたのは夏だったので、涼しくて過ごしやすかったのですが、冬は雪に閉ざされるようです。
その研修所で、同期200名近くとともに、集団生活をします。主な目的は語学習得なので、朝の9時前から午後3時ごろまで、3-4人のクラスでみっちり勉強します。さらに、宿題が毎日、膨大な量出るのに加え、日記執筆が課されていたので、午後3時から5時まで日記執筆、午後7時から10時過ぎまでは自習室で勉強していました。毎日、ざっと9時間以上は勉強していたことになります。それが日曜日を除き、週6日、70日間続きました。もっとも、日曜日も課題が追い付かず、先生のお家にお邪魔して勉強に付き合ってもらったりしました。慣れない集団生活に勉強漬けの日々で体力が少しずつ削られ、仕事を辞めてチャレンジしているという状況にプレッシャーも感じてしまい、正直きつかったのですが、今となってはいい思い出です。
そこまでやって、無事卒業し、渡航の日がやってきます。到着し、空港から外に出たときの感想は、蒸し暑い!でした。多少はベトナム語もできるようになっていたかな、と思っていたのですが、すぐに洗礼を受けることになります。長くなってきたので、続きはまた今度にしますね。読んでくださり、ありがとうございました。
2020年12月21日
ゼントラストの浅田です。東京というのはけっこう面白くて、区、駅、通り、エリアごとに色合いがかなり変わってきます。例えば、八重洲口と丸の内口、新橋と銀座といった近距離同士でも、雰囲気は違ってきます。東京都心の中でも、新聞報道などで特別扱いされるのが通称「都心五区」つまり、千代田区、中央区、渋谷区、港区、新宿区です。オフィスとして一番人気なのは丸の内エリアですが、最近は渋谷エリアも、IT企業を中心に人気です。
そのほかにも、商業は銀座、証券は茅場町、製薬は日本橋、アパレルは表参道というふうに、ざっくりとした人気エリアがあります。個人的にはごちゃごちゃした街並みが好きなので、神田や新橋が好みです。そういえば、私が新入社員のとき(2007年頃)は、メトロ日本橋駅のエキナカ(というか通路)に雀荘や古びたラーメン屋などがあり、謎めいた雰囲気を醸し出していました。ちょうどコレド日本橋ができたころで、ピカピカの商業施設の真下に、まるで都会のエアポケットみたいなエリアがあり、どんな賃貸契約になっているのか、火事が起こったら大丈夫なのか、不思議に思ったものです。いまは安全上の問題もあり、そういった一種カオスな街並みは好まれない傾向にありますが、東南アジアなどに行くとそういった雰囲気が色濃く残っていて、歩いているとワクワクしてきます。なかなか旅行に気軽に行けないご時世ではありますが、これからも街歩きは趣味として続けていきたいな、と思います。
2020年12月17日
ゼントラストの渡邊です。
2020年も残すところあとわずかとなりました。
オリンピックイヤーとなる予定だった本年、世代を超えて語り継がれていくと思われる程の未曾有のパンデミックで、世の中も私たちの生活も大きく変化しました。
3密(密閉、密集、密接)を避けることはもちろん、移動を減らし、接触を控え、会話や会食を抑えるなど、行動様式は激変しました。
当社においても、この1年様々な試行錯誤を繰り返してきました。
・交替制テレワークを実施
・満員電車を避けるため時差通勤を実施
・マスクの着用、検温、手指のアルコール消毒等を励行
・飛沫感染防止のためのアクリル版を事務所内に設置
・社内外の打ち合わせ等にZoomなどのリモートを導入
・リモート環境でもオフィスと同じように業務が行えるよう各種システムをクラウド型に移行
これらの試行錯誤にどれだけ効果があったのか、十分だったのか、無理はなかったか、他にもっと良い策がないか、答えが見えてくるのはずっとずっと先なのでしょうが、取り組み続けること自体に意味があると思います。
正直、昨年2019年の年末時点で、今年のこのような状況は予測していませんでした。
2月末に学校が休校となり、私は娘の卒業式に参列する事も叶わず、会社の方は緊急で交替制テレワークを開始、その後政府から緊急事態宣言が発令されました。
様変わりした閑散とした街に佇み、大きな不安に押し潰されそうに感じながらも、踏ん張って必死に撥ね退けてとにかく走り続けていたように今は思い返されます。
2020年を振り返り、世の中は予期せぬ事が突然起こるということ、そして、思考を止めることなく、種々の変化に臆せず真っ直ぐに対峙し試行錯誤を繰り返していく事が重要であることを学んだと思います。
まだまだ進み始めたばかり。
この先も様々な事が待ち受けているのでしょうが、変わり続けていける勇気と行動力と、変わらぬ理念・ホスピタリティを携えて前進していきたいと思います。
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